10.23.2017


前にも書いたが、という前置きがこのブログには多すぎるが、ケチらないでマックを買えばよかった、と後悔している。

ASUS、という台湾製のやっすいノートパソコンを使っている。出張用に、軽くて安いノートパソコンを、と思って買った。仕事用にはまったく過不足ない。ワードとエクセルとパワポが使えればいいからだ。

しかしディスプレイがしょぼい、ということにあとになって気が付いた。M8やX2で撮った写真が、コンデジで撮った写真みたいになってしまうのだ。これはすごく悲しい。

だから自分で書いたブログをあとでiPadで見直すと、あれ!?写真がきれい!?とびっくりする。そう、iPadはなかなかモニターがいいのだ。しかるにASUS、何なんだ・・・となる。ただ繰り返すけれど、仕事にはこれで十分である。軽いし。

しかしパソコンにしろカメラにしろ、テクノロジーの進歩にはついていけんなあ・・・と思う。僕の中でデジタルデバイスに対するキャッチアップは、2010年ごろに終わってしまった。

もうそのあとは、どうでもいいというか、ついていけないというか。2010年ごろにデジタル・デバイスは、十分なスペックに達してしまった、というのが私見である。

これとはあまり関係がないのだが、先日知人のドイツ人が、かの「ペリカン」の万年筆を買った。買ったはいいのだが、どうやらそれが壊れただか上手く書けないだかで、先週末買った店に文句を言いにいったらしい。

彼女いわく、「ペリカンには失望した。私はとても怒っている」、と。この現象はどこかで見たことがあるな、と僕は思った。

おそらくスーベレーンを買ったのだろうと推測するが、この事態こそ、僕が恐れ、高級万年筆を買わない理由なのである。

僕はラミーの「サファリ」をこよなく愛して使っているが、こよなく愛する理由の一つに「適度に安い(かつ適度に高い)」、ということがある。なおこれは実に微妙な問題だが、パイロットの「カクノ」は、愛着を持つには安すぎる、と思う。もう少し高いほうがいい。そう、値段がある程度「高い」ということも、重要なのである。この点、GRは絶妙な価格設定をしている。人間は「ちょっと無理して買った」ものに愛着を抱く、というのが私見である。

閑話休題。はっきり言えば、サファリは(日本製の製品みたいに)完璧な品質をもった商品ではない。ときどき「書き出し掠れ」が生じる。しかしそれは、例えばペン先の交換で対応できる。最悪、買い替えればいい。ペン先はせいぜい500円ほどで買えるし、サファリ自体、2~3千円で買えるものだ。

ともあれ僕の知る限り、サファリの唯一の欠点は、ときどき書き出し掠れが生じることだが、これは前述のとおり、ペン先の交換で対応できる(インクフローは、ペン先によって大いに異なる)。

しかし、である。かの「スーベレーン」を買って故障なり書き出し掠れが生じたら、すごいストレスであろう。これは高いライカのレンズを買ったのに何か不具合があるとか、電池蓋が少し浮いているとか、そういうことに匹敵するだろう。そんなことには僕は耐えられない。

だから僕はサファリに留まり、スーベレーンもマイスターシュテックも買わないのであるが、存外これは賢明なんじゃないかと思う。